「美少女動物園」作品はなぜ売れ続けるのか
かわいい女の子たちを見ると、なぜだか幸せな気分になります。別にそれは私が病気だからではありません。たぶん。
近年のアニメ、マンガ、ラノベなどの作品の傾向を表現する言葉として、「美少女動物園」という言葉があります。もともとはアニメ監督の山本寛氏が、美少女メインのアニメ作品に対して否定的な見解を述べた時に用いた言葉とされています。いわゆる「スラング」のようなものなのでその定義は曖昧で、「女の子がいっぱい出てくる作品」、「女の子の日常生活をただ眺めているだけの作品」など、様々な意見がありますが、どちらにせよ否定的な意味合いで用いられることが多い言葉です。
でも、バカにされようが揶揄されようが美少女動物園作品はどんどん量産されますし次々とヒットを飛ばしています。ということは、多くの人にこういった作品が求められているんですね。そもそも、動物園自体たくさんの需要があるから成り立っているわけです。パンダとかゾウとかキリンとか、私たちの周りにはいませんし山に登っても見つけることはできません。そこにしかいないから価値があると。
女の子に関しても一緒です。その辺の道端をボーっと歩いてた時にかわいい女の子を見つけたとして、その子をずっと観察することはできません。捕まります。かといって檻の中に閉じ込めておくこともできません。捕まります。つまり、アニメやマンガなどのフィクションの世界でしか見ることができないのでみんな豚のように喜んで買い求めるわけです。
だって野郎の日常なんか誰も見たくないでしょう。そんなもんは鏡でも見とけという話になります。つまり視聴者がこれらの作品を追い求めているのはごく自然なことなのです。よって私の心がぴょんぴょんするのも決して私が病気だからではありません。Q.E.D. 証明終了。
世界を救わなくてもいいし悪と戦わなくてもいい。そこにかわいい女の子がいればそれで十分です。そうなのです。
だから、「お前の推してる作品ただの美少女動物園じゃん」とか言われても気にすることはありません。むしろ「俺の動物園にはコアラがいるんだぜ」とか「俺のとこにはキングペンギンが」とかその辺で張り合うべき。